こんばんは!たかぼんブログドットコムのたかぼんです。
今回は『昔ばなしの桃太郎は実際にあった倭国大乱の時代の戦争だった!?』について解説させていただきたいと思います。
この記事は、あくまでも筆者の独断と偏見で書いているので、一説のエンターテイメントとして楽しんでいただけたらうれしいです。
時は西暦130年前後、第4代懿徳天皇の時代に、大和国だけが米を大量に所持していることに対し、他の国から猛反発を買っていることがありました。
そして国は乱れ倭国大乱の時代をむかえることになりました。
そのため大和王権は、吉備王国に攻められて敗北し、吉備王国に大和の地を占領されてしまいました。
大和王権は渋々ではあったものの、再び九州に逃れることとなりました。
そして九州で再び吉備王国に勝つために、国の力を蓄えることとなります。
第5代孝昭天皇、第6代孝安天皇、第7代孝霊天皇、第8代孝元天皇と4人とも頭文字に孝がついている天皇は、みな九州で即位した天皇です。
この孝は親孝行の意味があるといわれ、4人とも親を助けるように頑張っていた天皇だったと言います。
第8代孝元天皇が本格的に吉備王国攻略に向けて動き出す前に、第7代孝霊天皇の時代にも天皇の兄である大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)が軍事王として吉備王国と本格的に戦いました。
名前からしてみても、吉備王国に諸に進み行くぞ!という意味が込められているようですよね。
その後、孝霊天皇の息子にも二人の吉備津彦が登場することになります。
その名前が大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)です。
以上の三人が昔話で知られる桃太郎のモデルになりました。
伯父と甥二人の計三人を総称して桃太郎ということです。
桃太郎に出てくるきび団子とは吉備王国を攻略したらもらえる領地のことを指しています。
そしてきび団子欲しさに釣られて桃太郎に従った家来たちがいったい誰だったのかというと、犬=犬養氏の軍勢、猿=猿女氏の軍勢、雉=鳥取一族の軍勢になります。
戦ったとされる吉備の王(鬼)は温羅(うら)といい、温羅の牙城(鬼が島)は鬼みたいに強かったので、誰にも崩すことができませんでした。
そこで猿女氏が温羅を騙すために、和睦を装って宴会を開きました。
そして酔っ払った温羅が気を抜いているあいだに、女装した猿女氏が踊りながら温羅に近づいて行って、隠して持っていた刀で温羅を切り殺しました。
騙して温羅を切り殺したので、裏切るという言葉ができたとか。
こうして吉備王国を倒した大和王権は、再び大和の地を取り戻すことに成功したわけです。
一度は吉備王国に敗北したのですが、数十年の間でどうして大和王権が強くなったのかというと、大和王権の祭祀王に女性がなったことにより、倭国がまとまり強くなったという一説があります。
その祭祀王こそ魏志倭人伝に登場する卑弥呼です。
卑弥呼が祭祀王になってわずか十数年で倭国がまとまって強くなり、大和国が大和の地を都に取り戻すことができたわけです。
いかがだったでしょうか?
この記事では「昔ばなしの桃太郎は実際にあった倭国大乱の時代の戦争だった!?」について解説させていただきました。
卑弥呼の時代の倭国大乱と桃太郎の昔ばなしにこんな繋がりがあったわけなんですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
少しでもあなたのお役に立てたらうれしいです。
筆者はいつでもあなたを応援しています。
それでは皆様に感謝をこめて終わりたいと思います。
ではまた!
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雑記ブログ(2021年9月9日17:00より)
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