こんばんは!たかぼんブログドットコムのたかぼんです。
1970年代に日本中を一世風靡した伝説のアイドルグループ、キャンディーズ。我々のように少し年配の方はもちろんですが、今の若い世代の方でもキャンディーズという名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
1973年9月1日にメジャーデビューし、1978年4月4日「後楽園球場」で「ファイナルカーニバル」を経て約4年7か月で解散。この解散の瞬間がキャンディーズの人気のピークだったのです。
ではなぜキャンディーズはここまでピークになった瞬間にピリオド(終止符)を打ったのでしょうか?そしてそこにはキャンディーズの3人だけにしか知りえない事実が隠されていたのでしょうか?
というわけで、今回はそんな『【伝説のアイドルグループ】キャンディーズがなぜ人気絶頂期に解散したのか?』という謎について解説させていただきたいと思います。
【目 次】
実は最初から3年で解散すると決めていた!
まずはキャンディーズのメンバーの紹介とかんたんな生い立ちを説明いたします。
- 伊藤蘭さん(中央)(愛称:ラン)1955年1月13日
- 藤村美樹さん(左)(愛称:ミキ)1956年1月15日
- 田中好子さん(右)(愛称:スー)1956年4月8日 - 2011年4月21日
キャンディーズは3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身で、最終選抜にこの3人が選ばれました。この3人以外にも太田裕美さんやザ・ヴィーナスのボーカルであったコニーさんもスクールメイツの中にいました。
1972年4月「NHK歌謡グランドショー」のマスコットガールとして3人が選ばれ、プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいいい女の子たち」という意味でキャンディーズと命名されました。
1972年12月31日放送のNHK紅白歌合戦のオープニングでスクールメイツのダンスのセンターでキャンディーズの3人がダンスする姿が全国に披露されました。
キャンディーズはデビュー前の1973年4月7日から人気バラエティ番組のTBS「8時だョ!全員集合」のアシスタントとしてレギュラー出演が決定。
1973年9月1日には「あなたに夢中」でメジャーデビューを果たしました。デビュー当初は当時もっとも歌唱力が高いと言われていたスーちゃんがセンターでメインボーカルを務めることになりました。
しかしキャンディーズはデビューからしばらくはヒット曲に恵まれませんでした。そんなキャンディーズが本格的にブレイクしたのはデビューから1年半後の1975年2月21日にリリースした「年下の男の子」からです。
その当時のマネージャーの諸岡義明さんが、3人の中でランちゃんのファン層が他の2人とは異なることを発見し、センターのメインボーカルをスーちゃんからお姉さんタイプのランちゃんに変えて売り出しました。
それが見事に的中して「年下の男の子」がキャンディーズの初めてのヒット曲ということになりました。そしてこの年の12月31日にキャンディーズはNHK紅白歌合戦に「年下の男の子」で初出場を果たしました。
波に乗ってきたキャンディーズなのですが、そもそもキャンディーズの3人は、売れても売れなくてもデビューから3年で解散すると本人たちの間で決めていたのです。
3年で解散する理由は、メンバーで一番年下のスーちゃんが1976年に成人を迎えることで、「3年後に全員が大人になるから」と3人が話していました。
その証拠に渡辺プロダクションとの契約は1973年9月1日から1976年9月30日までの3年間だけとなっていました。
要するにキャンディーズは歌手(アイドル)をずっと続けて行こうとは最初から考えておらず、芸能活動は青春時代の思い出の1ページにしようと考えていたみたいでした。
特にランちゃんは中学生時代に演劇部に所属していたため、女優への道を目指していたそうです。
解散の契約の交渉が難航したため強行突破へ
1977年当時のキャンディーズの忙しさは相当なものだったと思います。ライブ活動が年間に80本もこなされ、レギュラーのテレビ番組が週に3本、テレビ朝日「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(1976年10月11日~1978年3月27日)・NHK「レッツゴーヤング」・TBS「8時だョ!全員集合」この他にも単発での歌番組に出演、さらにはレギュラーのラジオ番組が週に2本、TBSラジオ「ヤングタウンTOKYO」・文化放送「GOGOキャンディーズ」に出演、さらにシングル4枚にアルバム8枚をレコーディング&発売をこなしていました。
1976年9月30日で解散しようと考えていた3人でしたが、同年3月1日にリリースをした曲「春一番」が大ヒットしたために、解散の話の折り合いが着かなくなってきました。
そしてキャンディーズと渡辺プロダクションとの契約は1年延長されて1977年9月30日までと変更されるのでした。
そしてキャンディーズの3人は1年延長された契約通りの1977年9月で解散したいと主張し続けたのですが、渡辺プロダクション側は1978年3月まで仕事が入っているため解散は認められないと、再び話の折り合いがつかず、ついに伝説のきっかけとなりました。
そして1977年7月17日「日比谷野外音楽堂」のライブの最後に3人は涙を流しながら「解散宣言」を強行突破しました。その時の言葉は次の通りです。
ランちゃん「私たち、皆さんに、謝らなければならない事があります。」
ミキちゃん「ごめんなさい。」
スーちゃん「許してください。」
ランちゃん「私たち、今度の9月で解散します。」
そしてランちゃんが言い放った「普通の女の子に戻りたい!」という言葉はとても有名になり、その当時の流行語にも選ばれました。
そしてキャンディーズの3人はデビュー当時と変わらずに普通の女の子の気持ちを解散まで持ち続けました。
解散宣言をした後にさらに人気急上昇
キャンディーズが解散を発表してから、さらにキャンディーズの人気が急上昇してきました。しかしキャンディーズは人気が出てしまったことで、たとえ「解散宣言」を強行突破したとしても、かんたんには解散することを周りの人々から許してもらえず、話はさらに複雑化していきます。
その後解散の時期はキャンディーズ側が折れ、会社側の意見通りに半年先に延長されることになってしまいました。
その後もキャンディーズの人気は更にヒートアップし、ラストシングルの「微笑みがえし」では最初で最後のオリコンチャート1位を獲得するまでに上り詰めてきました。
そして引退への花道へ
1978年4月4日後楽園球場に5万5千人の観客を集め「ファイナルカーニバル」の口火が切って落とされました。
球場に入りきれなかった人々を合わせると約8万人もの人が後楽園球場の内外にいたと推定されています。推定約8万人の大合唱は当時、機動隊も警戒する程異様な光景だったそうです。
ライブは時とともに過ぎ去りラストシーンで3人の本音の挨拶がありました。キャンディーズのライブからその言葉を引用いたします。
ランちゃん
私たちは、よく、大人のひとに言われました。
「君たちはなんてバカなんだ。こんないいときに、バカ騒ぎをして、そんなにまでして、キャンディーズを辞めることはないじゃないか。」
でも、私達はバカじゃありません。そうじゃないから、解散を決めました。
私達は良く知っています。キャンディーズは素晴らしいです!
キャンディーズは最高だっていうこと、私達、一番よく知っているつもりです。
私達3人は、全てをキャンディーズにかけてきました。MMPのみなさん、スタッフのみなさん、そして、全国のたくさんのファンのみなさんが、私達を最高のものに作り上げてくださったんです。だから、だからこそ、私達は、最高のまま、解散したいと思います。ミキちゃん
確かに、見る人から見れば、身勝手な、少女趣味的な発想だと思います。でも、あたし達は、少女でも、子供でも、幼稚でも構いません。
子供のときから始めたキャンディーズです。
最初の精神を、ずっと、貫き通そうと決めていました。変な大人になるより、変な大人になるより、純粋な子供の気持ちで、純粋に終わりたかった。そしてあたし達は、そうやって努力もしてきました。
今、それが、すべて、すべて、出来た様に思います。
力強い皆さんの、沢山の支援があったから、キャンディーズは、あたし達のキャンディーズは、純粋なまま、今、この瞬間に終わります。
あたし達は、キャンディーズの一員であったことに対して、すごく、誇りを持っています。ほんとうに、ありがとうございました。スーちゃん
最後に、私達の、夢で、夢であった、この場所、後楽園球場で、ステージ、最後のステージを、みなさんと一緒に、このステージで、精一杯、歌ったこと、ほんとうに、嬉しく思います。
そして、このフィナーレを、すばらしいものにしてくださった、主催者のみなさん、後援、協賛のみなさん、後楽園のみなさん、大勢の関係者のみなさん、そして何よりも、渡辺プロダクションのみなさん、ほんとうに、長い間、ありがとうございました。ランちゃん
私達の、この、最後のステージの、最後の曲は、やはりこの歌を歌いたいと思います。聞いてください。「つばさ」を歌います。
この記事では『【伝説のアイドルグループ】キャンディーズがなぜ人気絶頂期に解散したのか?』について解説させていただきました。
「ありがとう わたしたちは しあわせでした」これが3人の正直な気持ちだったのではないでしょうか。
キャンディーズのシングルレコード
発売日 | タイトル |
---|---|
1973/9/1 | あなたに夢中 |
1974/1/21 | そよ風のくちづけ |
1974/4/21 | 危い土曜日 |
1974/9/21 | なみだの季節 |
1975/2/21 | 年下の男の子 |
1975/6/1 | 内気なあいつ |
1975/9/1 | その気にさせないで |
1975/12/5 | ハートのエースが出てこない |
1976/3/1 | 春一番 |
1976/5/31 | 夏が来た! |
1976/9/1 | ハート泥棒 |
1976/11/21 | 哀愁のシンフォニー |
1977/3/1 | やさしい悪魔 |
1977/6/21 | 暑中お見舞い申し上げます |
1977/9/21 | アン・ドゥ・トㇿワ |
1977/12/5 | わな |
1978/2/25 | 微笑がえし |
1978/11/21 | つばさ |
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝いたします。
少しでもあなたのお役に立てたらうれしいです。
ではまた!
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雑記ブログ(2021年9月9日17:00より)
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