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毎晩お家で楽しくお酒を飲むのが大好きで、最近は歴史に凝っている筆者が書いている雑記ブログです。

くるみの闘病生活【2002年】

リゾート地

おはようございます!たかぼんブログドットコムのたかぼんです。

2020年2月25日午前5時です。早朝から失礼いたします。はてなブログを開設してから90日目で71記事目になります。

あれは忘れもしない2002年3月10日から5月17日までの69日間、長女くるみの闘病生活の様子を綴った日記です。当時のままの文章で再現してみます。

 

 

くるみの闘病生活【2002年】

くるみとなつか

自分の人生の中での出来事も、いろいろありましたが、一番大きな出来事がここに書いてある、くるみの入院生活だと思います。記憶が残っている間に、データとして残そうと思ったので書きました。

ほんとに家族のみんな(実家も含めて)が協力し合った結果だったと思います。これからもずっと家族で力を合わせて頑張りたいと思います。どうか最後までじっくりと読んでみてください。

 

お腹がいたい!

平成14年3月10日日曜日の深夜、長女のくるみ(当時6歳)が突然狂ったように「お腹が痛い!」と叫びだした。私と妻のようこは あわててくるみの様子をうかがった。

くるみはただひたすらお腹を押さえて「痛い!お腹が痛い!」と泣き叫ぶだけであった。救急車を呼ぶか、それとも翌朝まで待って病院に連れて行くか、二人とも迷っていた。

ようこが119番に電話し、救急車を呼べばどこの病院に運ばれるのかなどの問い合わせをしていた。救急車ではおおかた市民病院に運ばれるみたいであった。あまり気がのらなかった。(これが結果的にはよかった)

ようこが腕のいい小児科のM先生がいるM台病院に問い合わせる。 が 当然先生は翌朝にならないと不在。どうしてもこの先生に診てもらいたいと二人の意見が一致していた。

そして翌朝6時にもう一度連絡をとり、本来なら直接病院へ行かないと受け付けしてもらえないのですが、受け付けの方が、「昨夜連絡を下さった方ですね。わりました。では特別に本日の9時一番の診察と言うことでお受けします。」と受け付けてくれました。

そして病院へ、くるみは1歩を歩くどころか、立つこともできない状態になってました。自分自身も動揺してましたが、とにかくM先生に診てもらわないとの一身で くるみを抱きかかえて病院の受付まで行きました。

 

右の腎臓が・・・

やっとの思いで病院までたどり着きました。

「ここで治療してもらって早く家に帰ろうね。」などと くるみに言ってたのですが、なんと「膀胱炎のひどく悪化したものだ。即入院です。」と先生から言われました。

私は仕事場に電話して事情を話して、その日は休暇させてもらいました。しかし、くるみが入院となると当然付き添いがいる。となると、ようこがくるみの付き添い。私は会社に出勤。するとなつか(当時8ヶ月)は誰が面倒見るの?

ようこは実家のおばあちゃんに電話をして事情を話した。おばあちゃんはすぐに電車を乗り継いで、病院まで駆けつけてくれました。

先生から、「右の腎臓が止まったまんまです。おそらく生まれつきでしょう。この腎臓は手術して取り除かなければならない可能性が大きいようです。」最初この話を聞いた時、呆然としてしまいました。

昨日まであんなに元気だったくるみがどうして・・・・?実家のおばあちゃんから、「結果が決定したわけちゃうから、あきらめんともっと前向きに考えや。」と励まされ、少し気分が落ち着きました。

 

大きな大学病院

M先生が「腎臓はここでは治せませんので、大きな病院を紹介します。

ただその前に膀胱炎の治療をして、体調を整えてから次の病院に移そうと思いますがよろしいですか?」と言われましたが、よろしいですかも何も、とにかくM先生の言ってることが一番説得力を感じ、頼れる先生に感じたため、先生の言ってることを肯定的に聞くことにしました。

 入院してからもくるみの体温が40度以上にあがったまま、座薬を入れたときだけ熱が下がるけど、夜中になるとまた40度以上の熱がでてました。

このままではくるみの脳みそがおかしくならないか・・・心配で心配で・・・。

M先生は膀胱炎を治療してから、次の病院へと最初考えていましたが、先にM先生の知り合いがいる某大学病院に連絡を取り合ってたみたいです。そして大学病院の先生からM先生に、「膀胱炎が治ってからではなく、様態を早く診たいので、即大学病院の方にに来てほしい。」と言われたそうで、我々もその話を聞き、そうすることに決めました。

3月15日の金曜日の朝、歩けないくるみが救急車までタンカーで運び込まれました。

「いやだー救急車に乗るのー!ここの病院にいるー!」と 泣き叫ぶ我が娘を見て こっちまで涙があふれてきました。救急車にはタンカーに乗せられたくるみと、ようこと、おばあちゃんが乗っていきました。

私と8ヶ月のなつかは、うちの車で大学病院へ向かいました。そして大学病院の小児科外来で待ち合わせをしていたので、そちらへ行きました。

まず病院について印象的ですが、建物の数といい大きさといいとにかく驚きました。何せ駐車場からどっちを向いて歩けばいいのかさえもわからないくらいでした。(多分焦ってたせいもあると思いますが・・・。)

採血でも、くるみは泣いてばっかりでした。泣いてばっかりなので注射の針を何回も何回も刺しなおされて腕がぶつぶつと穴だらけにされてしまいました。ほんとにいろんな検査をしましたが、検査結果ははっきりとはしませんでした。

ただ入院がかなり長引くことを忠告され、今後生活がいろんな意味で大変だなと思いました。それまでは赤ん坊のなつかの面倒をようこが見て、病院の付き添いはおばあちゃんが商売を休んでついてくれてました。

しかし、そんな事は長い間続けられないため、なつかを実家にあずけて 私も実家から仕事場へ行き ようこが実家から病院へ毎日通うことにしました。大学病院では完全看護だったため夜は付き添いできません。

くるみには少しかわいそうに思ったけど、周囲にお友達がたくさんいたので くるみにも帰ってよかったみたいです。ただ、ようこの病院までの交通費がかさむため、定期券を購入することにしました。いずれにせよ くるみの様態が早くよくなってほしいとの一途でした。

 いつもよく、くるみに言ってたアドバイスがひとつあります。それは、くるみがすごく頑張って病気と闘ってたので、これ以上頑張りすぎると逆に身体が持たないんではと思い、「あんまり頑張らずに普通にしてればいい。」と言う事でした。

くるみも、おじいちゃんやおばあちゃんによく言ってました。「あんまり頑張らんと普通にいとくわ。」って・・・。これがかえってくるみ自信、気楽になれたのかも知れません。必ず治るって信じてたんでしょう。

 

右尿管逆流症

検査に検査を繰り返し、ある結果が判明してきました。動かない右の腎臓の下の尿管が大きく腫れあがっていて、膀胱から尿が逆流している。右尿管逆流症・・・。

ただ、腫れあがった尿道の中に何が入っているのかは、手術しないとわからない。・・・との事でした。その時は、右の腎臓を取り除くことと、尿管の中にある異物を取り除くことで、手術が終わると言われてました。

それでもその時は、くるみの右の腎臓がなくなるということだけでもすごくショックでした。その手術が成功さえすれば、すべてが解決するものだと信じきっていたからだと思います。

そして くるみは小児科病棟から 外科病棟に引っ越すことになりました。外科では子供も少なく遊ぶ場所もありません。

同室のお友達も1~3日で手術が終わり入れ代わり立ち代わり周囲の子供たちが代わります。内臓の手術ということで、3日間飲まず食わずの入院生活となりました。

周囲の子供たちの食事の時間が一番苦しそうに見えました。わたしだけどうしてご飯食べちゃいけないの?と何回も聞いてました。

そしてどんどんと周囲のみんなが退院していきました。退院していく子供たちの姿を見てるくるみの瞳を見ると可愛そうでたまりませんでした。

 

手術当日

平成14年4月17日、ついに手術の日がやってきました。会社を昼から早退して、病院へ向かいました。成功してくれ!の一心で車を走らせました。

病院につくと、ようこと 姉のえみこが待ってました。くるみは既に手術室に入ったようでした。怖がらしたら 様態が悪化するといけないので、手術の話は本人には内緒にしてました。

しかし当日 手術服(テレビでよく見かける緑の服)を見てすぐにわかったみたいです。手術が始まりました。私も妻のようこも姉のえみこも無言でくるみのことを見守ってました。待合室で、待てど暮らせど手術が終わりませんでした。

午後5時くらいに、小児科のI先生が出てきて、「右の腎臓はすべて取り除きました。それと大腸にも転移してるので、大腸も約20cmほど切断しなければならないと思います。」

待ちくたびれた後にその言葉を聞かされ、3人とも口を閉ざして、 何とかくるみが無事でありますように・・・と願うばかりでした。結局手術が終わったのは午後9時半頃で、8時間半と言う大きな手術になってしまいました。

結果は、ギリギリで輸血はしなくてよかったものの、外科のY先生より、 「残念ながら、悪性腫瘍(つまり癌細胞)の可能性が強いです。手術の回復後すぐにでも、抗癌

剤を流し込む準備が必要です。」私は呆然としてしまいました。

その後の先生の話もよく覚えていないのが実情です。くるみは病室にも戻れないので、集中治療室の方へ面会だけさせてもらいました。くるみは「苦しい!・・・苦しい!・・・」と言って泣き叫んでました。

私とようこは、くるみの励みになるようにと、つくり笑顔で「大丈夫だよ!もうよくなったよ!悪いものは全部取ってもらったから治ってお家に帰れるようになるよ!」って言ってたと思います。

くるみは、「手術しないと思ってたのに、なんでしたの?」って言って泣いていました。何とか早く回復してほしい、ただ、その後の悪性腫瘍が・・・・・。その日は落ち込んでしまい、夜もあんまり眠られませんでした。

 

長かった入院生活も・・・

手術前後の3日間、計6日間は、食事どころか水分も一切取ってはいけないと、制限をされました。何せ当時6歳のくるみにとってこんなにつらいこともなかっただろうと思います。手術前なんて何も知らされず急に食事なしで、隣のベッドの子供たちの食事を指をくわえて見ているくるみを見て、またなんとも言えない気持ちになってしまいました。

 そして数日後、珍しい病気だと言うことで、日本全国の博士たちが集まり、くるみの病気について研究をすることになりました。

 そして、検査に検査を重ね、約2週間と言う月日が経ちました。

お腹から取り出した腫瘍が以前として悪性という証拠が見つからないようでした。ほぼ良性腫瘍の可能性が強いとの見方に、大きく方向転換してきました。私も思わず感激してしまい、目に今まで我慢してきた涙が浮かんできました。

 手術から約1ヶ月、5月15日水曜日、最後の検査がありました。腫瘍の正体は、「黄色肉芽腫」と言う大変珍しい病気でした。

最後の検査も終わり、抗癌剤を注入するためにとおしていた管も抜いてもらいました。

そして、平成14年5月17日金曜日、68日間の長い長いくるみの入院生活がやっと終止符をうつことになりました。

ほんとに、ほんとに、よくがんばったね。・・・・・くるみ。

おわり

 

まとめ

2002年Yahoo!ジオシティーズの無料サーバーでホームページを書いていた時の文章をそのままに書きました。あの当時はとにかく必死でした。私も家内も若かったし子供はまだちいさかったし・・・。

でも良くなって本当に良かったとつくづく感じています。あの当時は病院の先生方にはたいへんお世話になりました。ありがとうございました。

長文になりましたが最後までお読みいただきまして本当にありがとうございます。

少しでもあなたのお役に立てたならうれしい限りです。

ではまた!さようなら(@^^)/~~~

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