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日本で大ヒットしているご存知の「コカ・コーラ」なのですが、なぜか「北海道」と「沖縄県」ではあまり人気が出ないようなのです。
いったいそれはなぜなのでしょうか?
今日はそんな「コカ・コーラ」がなぜ「北海道」や「沖縄県」では人気が出ないのかを調べたので解説していきたいと思います。
読めばスッキリとするのでご参考にどうぞ。
【目 次】
なぜ「コカ・コーラ」が「北海道」や「沖縄県」で人気が出ないのか?
今や日本全国の清涼飲料水の売上でダントツでトップの地位にいるのが「日本コカ・コーラ」です。
第2位の「サントリーフーズ」の約2倍もの売上を上げています。
その「日本コカ・コーラ」が唯一売上に苦しんでいる都道府県が2カ所あります。
それが日本最北端の「北海道」と日本最南端の「沖縄県」です。
この2つの道県では他の都府県とちがった歴史があったようです。
それは何なのでしょうか?今回は北海道での「コカ・コーラ」の歴史と沖縄県での「コカ・コーラ」の歴史を探ってみたいと思います。
北海道での「コカ・コーラ」の歴史
「コカ・コーラ」が本格的に日本で製造販売されるようになったのは、1956年(昭和31年)のことです。
しかし北海道にまで「コカ・コーラ」が普及されたのが1959年(昭和34年)と本州より3年も遅れをとってしまいました。
その1年前の1958年(昭和33年)にアメリカの「コカ・コーラ」に対抗するドリンクとして全国清涼飲料協同組合連合会が開発した「ガラナ飲料」が全国的に展開されることになりました。
北海道では「コカ・コーラ」が普及される以前に「ガラナ飲料」が先に地元民に定着してしまいました。
「ガラナ飲料」が普及した後に「コカ・コーラ」を普及させようとしましたが、地元民の強い「ガラナ飲料」への愛着が強く、未だに「コカ・コーラ」は北海道で人気が出にくい状態になってしまっています。
沖縄県での「コカ・コーラ」の歴史
沖縄県は太平洋戦争の終戦直後の1946年1月21日に日本から分離されてアメリカ合衆国の統治下になってしまいました。
そのために「コカ・コーラ」が出まわったのは沖縄県が日本で一番早く、1948年7月から闇市場で出回り始めました。
その後1951年9月に「コカ・コーラレギュラーサイズ(190ml)」が民間市場向けに販売を開始しました。
その3年後の1954年11月に与那城ビバレッジカンパニーと言う会社が設立され、「ペプシコーラ」が民間市場で販売を開始しました。
「コカ・コーラ」と「ペプシコーラ」は同じ金額で販売されていたのですが、「コカ・コーラ」は190mlに対し「ペプシコーラ」は236mlでした。
しかも「ペプシコーラ」は販売開始の直後から試供品の提供やサンプリング作戦を島中に繰り広げて展開していきました。
更にラジオのCM放送などにより知名度をグーンと上げ「コカ・コーラ」の販売量をどんどんと奪っていきました。
何よりも「ペプシコーラ」にとっての最大の強みは瓶の補償金を取らないことでした。
「コカ・コーラ」は販売時に瓶の補償金などを徴収して瓶の返却と同時に補償金を返すという消費者にとってとても煩わしい手続きが必要だったので売上はますます「ペプシコーラ」に奪われていきました。
このような経緯があったからこそ沖縄県では「コカ・コーラ」の人気がなく「ペプシコーラ」の人気が強いのです。
まとめ
この記事では、なぜ「コカ・コーラ」が「北海道」や「沖縄県」で人気が出ないのか?のお話をさせていただきました。
- 「北海道」:コカ・コーラが普及する前に
ガラナ飲料が先に地元民に定着してしまった - 「沖縄県」:ペプシコーラの戦略で
コカ・コーラの売上を崩してしまった
さすがの天下の「日本コカ・コーラ」も北海道と沖縄県では売上に苦しんでいるようなのですね。
これにはこの記事で書いている歴史が物語っているようです。
歴史の事実は面白いですよね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝いたします。
少しでもあなたのお役に立てたらうれしいです。
ではまた!
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