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【DNA】縄文人と弥生人による古代史は、DNAによって解明されている?アイヌ民族先住説はウソ?

こんばんは!たかぼんブログドットコムのたかぼんです。

今回は『【DNA】縄文人と弥生人による古代史は、DNAによって解明されている?アイヌ民族先住説はウソ?』について解説させていただきたいと思います。

日本人はどこから来たのか?

人の種類の歴史は生物学的にいうと、猿人・原人・旧人・ホモサピエンス(新人)があります。現在は全人類がホモサピエンスという種類になっています。

昔は発掘した人骨で人の歴史を判断していましたが、それはかなりいい加減な判断になっていました。しかし1980年代にDNAの鑑定ができるようになってから、そのすべてがDNAの鑑定で解明できるようになりました。

約20万年前のネアンデルタール人がまだ生息していた時期に、ホモサピエンスはアフリカの地で現れます。ネアンデルタール人はホモサピエンスよりも体が大きかったのですが、すでに全滅しています。

しかし現在の我々人類のDNAには、98%がホモサピエンスのDNAで、残りの2%が種類の違う動物であるはずのネアンデルタール人のDNAが含まれています。つまり混血なのです。実に不思議なことに・・・。

そして我々人類は約5万年前にアフリカ大陸から世界へ飛び出して旅に出ました。ヨーロッパ地方や中東に出て顔のほりが深くなった人類のことを「コーカソイド」と呼び、東アジア地方に出てほりが浅くなった人類のことを「モンゴロイド」と呼んでいます。

アフリカ大陸を出たホモサピエンスが、我々が暮らしている日本列島にも渡ってきたということなのですが、この当時の地球は氷河期だったので海面が現在より約140mも低かったのです。なので日本列島は島国ではなくユーラシア大陸の一部になっていたのです。そして日本海は大きな湖だったのです。

だから人々は歩いて日本列島に入ってきたということになります。北方からマンモスやヘラジカなどの獲物をを追いかけて日本列島に入り込んできた人たちと、南方からナウマンゾウやオオツノジカなどの獲物を追いかけて日本列島に入り込んできた人たちがいたのです。

人々が日本列島に入り込んだのが、今からだいたい約38,000年前になります。当時の石器の遺跡がでてきたので間違いないでしょう。この時期は旧石器時代です。そしてやがて地球の温暖化が進み、北極や南極の氷が溶けてくると海水面がどんどんと上昇していき、日本列島は大陸から海に孤立した島国になってしまいます。

その時に日本列島に取り残された民族が、縄文人の祖先である日本の先住民だったということになります。

縄文時代は少なくとも約10,000年以上続くわけなのですが、学校で習ったのは縄文時代は狩猟採集民で、農業が始まったのは弥生時代からと習いました。しかし農業は縄文時代からすでに行われていました。

縄文時代の農業は畑作で、水田稲作が始まったのが弥生時代からだったという方が、正しい言い方かも知れませんね。縄文時代に作っていた農作物は、クリとかドングリなどの木の実を作っていました。

発掘された木の実が、野生の木の実か、栽培した木の実かが、どうしてわかるのかということなのですが、これもDNAでわかるようなのです。DNAがバラバラであれば野生の木の実で、DNAが同じものに揃えられていたら栽培したものになります。

アイヌ民族先住説はウソ?

縄文時代から弥生時代に移っていく時代の背景が、日本の歴史上で一番不可解だと感じる人が多いかと思います。

歴史の授業で習った方も多いと思いますが、縄文人と弥生人とは異なる民族であったことがわかっています。

ご存じの通りだと思いますが、縄文人は弥生人より背が低く、骨ががっちりしていて、顔のほりが深く、二重まぶたで毛深いです。逆に弥生人は縄文人より背が高く、骨が細く、顔のほりが浅く、一重まぶたで体毛が薄いです。

弥生人はいったいいつの時代にどこからやって来たのでしょうか?

縄文時代から弥生時代に移っていった理由は何なのか?を考えてみたいと思います。

3つの説があるのですが、それは下記の3つです。

  1. 征服説
  2. 変形説
  3. 混血説

1.征服説

1つめの征服説は、縄文時代に渡来系の弥生人がどんどんとやってきて、戦争をして住んでいた縄文人を追いやっていったという説です。

2.変形説

2つめの変形説は、硬い木の実を食べて動物の狩りをしていると、あごの骨が発達して骨もがっちりしてきますが、柔らかい米を主食にすると、あごがスラっとなり、骨組みもスラっとなって徐々に変形してきたという説です。

3.混血説

3つめの混血説は、縄文人と弥生人の混血が生まれて混ざり合って来たという説です。

DNAでの鑑定によると、混血説が正しかったようです。

東アジアの人々は、「北東アジア人(現在の中国人はここに含まれます)」と「南東アジア人」と「縄文人」の3種類に分けられるようです。

国立遺伝学研究所によると、日本人のDNAは上記の3種類のDNAが3重構造になっていることが判明しているそうです。

それでは、いつごろから、どこの国の人々が渡来してきたのでしょうか?朝鮮半島から渡来したという説はウソだったのです。

それは今から約5,000年前の縄文時代から徐々に渡来は始まっていたのです。場所は中国の南東部である長江文明(黄河文明より1,000年以上古い文明)の人々と米です。現在の上海や南京のあたりです。

これはDNA鑑定でわかっていることなのですが、約5,000年前の人骨のDNAと、その当時の米のDNAがピッタリ当てはまっているそうです。

弥生時代に福岡県や山口県には渡来系弥生人がたくさんいたわけですが、水田稲作を受け入れた縄文人が次第に増えていき、九州から東北まで水田稲作は広まるのですが、北海道と沖縄には広まりませんでした。

その当時のお米は北海道の寒冷地帯では作れなかったのです。そして沖縄のサンゴ礁の多い砂地でもお米はできにくいという立地条件がありました。

ですので北海道と沖縄では長い間、純粋な縄文人のままでした。ただし奈良時代や平安時代の北海道では、アイヌ民族もまだいませんでした。

これもDNAで判明しているのですが、アイヌ民族は鎌倉時代に、樺太やもっと北にあるカムチャツカ半島などから来たオホーツク人(ウィルタ民族やオロチョン族など)が、北海道にやって来て縄文人との混血がアイヌ民族になったわけです。なのでアイヌ民族先住説はウソだということが判明しています。

DNAで自分の祖先がわかる!

DNAは細胞の中のミトコンドリアから女系のルーツが判明します。そして細胞の核の中にある染色体で、女性の染色体はXXであるのに対して、男性の染色体はXYになります。つまりY染色体は男性にしかないので、このY染色体をたどっていくと男系のルーツがわかります。

このDNAを探っていくとその人の何十代前のルーツまで判明してしまうのです。東アジア人の女系のルーツはだいたい同じDNAが多いのに対して、東アジアの男系のルーツはバラバラに入り乱れています。

それはなぜかというと、男は旅をするからだと言われています。山に狩りに行ったり海で航海をしたり戦争に行きます。男が移動して移動先の女性に子供を産ませるのです。

特に戦争が大きな原因だったと思います。何千年もの間、敵の部族の男を殺して、女を奪って妻にするってことが当然のように行われていました。

ということは、戦争に強い征服者のDNAが、征服された国々の女性にバラまかれるわけなのです。

恐ろしいことに、北中国から中央アジア・中東にかけて約1,600万人が同じY染色体を持っているのです。ということは、ある人物のY染色体がバラまかれたということです。

これはいったい誰のY染色体なのでしょうか?実はこれが当時の世界人口の半数以上を統治するに到る、人類史上最大規模の世界帝国を作り上げたモンゴル帝国の初代皇帝の「チンギス・ハーン」のY染色体だったのです。

このチンギス・ハーンとその一族は、戦略しまくって男を殺しまくって、女を自分のものにしまくった結果が、その遺伝子が世の中にバラまかれて、今現在、約1,600万人がチンギス・ハーンの血を引いているという恐ろしい話なのです。

もう一つの例が、南米のペルーの先住民のY染色体の、95%がヨーロッパ人のY染色体でした。ペルーという国はかつてのインカ帝国です。

そこにインカ帝国を征服したことで有名なスペインの軍人「フランシスコ・ピサロ」を率いる軍勢が、男を殺しまくり女を奪い子供をつくりまくったのでした。

ですからY染色体というのは、過去の戦争や暴力などの痕跡を留めています。

ということは日本人のY染色体を調べたら、日本人がどこの国に占領されたとかの結果が出てきます。

日本人のY染色体の約半分が縄文人になっています。関西・中国・四国・九州の人は縄文人のY染色体が少なめで、北海道や沖縄がかなり縄文人のY染色体が多めになります。

日本人の約4割程度が南中国のY染色体で、残りの約1割程度が北中国のY染色体になっています。先ほども言ったように、渡来系弥生人は南中国人が征服したわけではなく、移民なので戦争しないでうまく混ざることができたのです。

というわけで日本人は他の国に征服されたことがないということがご理解していただけると思います。

日本列島では、縄文人と弥生人は、なんと約3,500年もの間、別々に暮らしていたらしいのです。

どういうことかというと、長江文明の民族は、水田稲作をしたり海や大河などへ船で漁労をする海人だったので、弥生人は平地や沿岸に暮らしていたと想像されます。

一方、日本列島の先住民である縄文人は、山で木を栽培して、木の実を採集したり、イノシシやシカなどの狩りをする、狩猟採集民だったので山に暮らしていたと考えられます。縄文人と弥生人は、住む場所もそれぞれ違っていたわけなのですね。

日本列島はそれだけ平和な場所だったわけです。ひょっとしたら、縄文人と弥生人が村で会えば「獲物を捕ってきたから食わないか?」「じゃあ米を持って行けよ」などという会話があったのかも知れませんね。日本はのどかだったのですね。

縄文人と弥生人の混血のDNAが見つかったのは、5世紀ころの古墳時代になってからだそうで、ずいぶんと後の話なのです。

中国のY染色体を調べてみると北中国のY染色体が圧倒的に多いようです。そして中国やその周りの国々には縄文人のY染色体はほぼ見られないのです。

そして面白いことに、日本人と同じようなDNAを持っているのは、チベット高原の人々なのです。実に驚愕ですよね。あんなに遠い場所に縄文人のY染色体が半分弱あるのですよ。

そう考えると、もともとはアジア全体に日本人と同じような縄文DNAを持った人々がいたと考えてもおかしくはありません。

そして騎馬民族などに何度も滅ぼされた中国やモンゴル・朝鮮半島の国々では、日本人と同じようなDNAの人々がいなくなりました。

そして中華帝国が攻め込めなかったのが、海の向こうの日本と標高が3,000m以上のチベット高原だったと考えたらいいわけです。

だから日本とチベット高原は、アフリカを出てそのまま繋がってるような古いDNAを保っているということで、これは世界遺産レベルと言っても過言ではありません。

日本はたまたま島国であったことが、歴史的に見て、ものすごくラッキーだったわけなのです。

島国だったから大陸の方から攻め込まれませんでした。大陸の方から攻め込まれなかったから民族交代も起こりませんでした。民族交代が起こらなかったから王朝交代も起こらなかったのです。

ユーラシア大陸の他の国々は、ほとんどの国が王朝交代をしています。そのたびに戦争を起こして殺戮を行ってきました。

まとめ

この記事では『【DNA】縄文人と弥生人による古代史は、DNAによって解明されている?アイヌ民族先住説はウソ?』について解説させていただきました。

日本の先住民である縄文人は、今から約38,000年前にアフリカから歩いて日本列島にやって来ました。その当時は氷河期で海水が今より約140m低かったため、日本列島は島国ではなくユーラシア大陸の一部でした。だから歩いて来ることが可能だったのです。

現在の日本人のDNAは、だいたい半分が縄文人で、約4割が南中国、約1割が北中国でした。ということで、朝鮮半島からの渡来説はウソでした。

そして北海道はアイヌ民族が先住民だという説もウソで、鎌倉時代になって初めて樺太やカムチャツカ半島などから北海道に移民したオホーツク人(ウィルタ民族やオロチョン族など)と縄文人との混血によってできた民族がアイヌ民族だったのです。

ユーラシア大陸のほとんどの国々は戦争が原因で、民族の交代や王朝の交代が繰り返し起こりました。

日本は島国だったために、大陸から攻め込まれず、民族の交代も王朝の交代もなかったことは、非常にラッキーだったと言えます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
少しでもあなたのお役に立てたらうれしいです。
筆者はいつでもあなたを応援しています。
それでは皆様に感謝をこめて終わりたいと思います。
ではまた!

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雑記ブログ(2021年9月9日17:00より)

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